「カオスのカタールで、困難に正面からぶつかり克服した」
――11年、ラザロニがカタールSCからカタール代表監督にヘッドハンティングしました。なぜミルトンは、カタール代表コーチに就任しなかったのですか?
「ミルトンは、マリティモ時代から数えて4シーズン連続で、ラザロニの下でコーチを務めました。40代半ばに差し掛かり、いつまでもラザロニにおんぶに抱っこではなく、監督として勝負したいと意気込んでおり、カタール代表コーチのオファーは拒否しました。
ちなみに、ラザロニは、わずか就任5カ月でカタール代表監督の座を解任されています。選手とのコミュニケーションを円滑にする名参謀ミルトンがいないと、良い仕事ができないという動かぬ証拠です」
――13-14年シーズンには、アル・シャハニアの監督に就任しました。
「当時は、2部でした。ミルトンの監督としての1人立ちという意味で注目していたのですが、わずか数試合で解任されています。ミルトンには非がないと思います。
このクラブは、選手の補強はしないし、練習時間の変更を監督のミルトンに伝えず、監督不在で練習を行ったりと本当にカオスです。結果が出るわけがないですし、クラブを運営する王族に切れたのはタブーではなく、仕方のないことです」
――指導者としての実績の少なさは、柏レイソル監督としてマイナスポイントになりませんか?
「いや、輝かしい実績はたくさんあります。マリティモのUEGAカップ出場権獲得、ラザロニが解任日常茶飯事のカタールにおいて3シーズン連続で指揮を執ったこと、そしてカタール代表監督にヘッドハンティングされたのは、名参謀ミルトンの功績です。カオスのカタールで、困難に正面からぶつかり克服していった経験はまさしくプライスレスです」
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