石崎監督のもと鍛え上げられた川西翔太
オフを経て新シーズンが始動するとともに、指揮官と選手たちの“真剣勝負”が幕を開ける。
ロッカールームに掲げられた、練習のスケジュールを知らせるホワイトボード。それまでは午前中だけに書き込まれていた「練習」の二文字が、午後もぎっしりと埋まっている。しかも、25歳以下の選手たちを対象とした午後の部を任意参加の指名練習とした上で、目的としてこんな言葉が綴られていた。
「理不尽!」
自らを「ワシ」と呼ぶ、広島県出身の石崎監督が笑いながら意図を説明する。
「それくらい過酷なメニューを課すよ、という意味ですよ。ワシは昔の人間で、どうしても気持ちの話ばかりになってしまうけど、気持ちが強くないとどれだけいい技術を持っていても意味がないとずっと考えてきた。体が動けば気持ちも強くなって、相手よりも戦えるようになる。いま以上になるためにワシの練習が必要なんだと理解してほしかったけど、受け入れられる選手とそうではない選手がいましたよね」
指揮を執ったすべてのクラブで、石崎監督は自ら「フィジテク」と命名した猛練習を課してきた。ボールをたっぷり使いながら、気がついたときには膨大な量を走っている。ゲーム形式練習の楽しさでフィジカルトレーニングのつらさを相殺する極意を、指揮官はこう語る。
「ワシの練習のテーマは、ボールを使ってどれだけ走れるか。ゲーム形式を多くして楽しくやらせながら、走れないと勝てないような形でやらせる」
過酷なフィジテクをすすんで受け入れ、心身を鍛え抜いた選手の一人に、ガンバ大阪から期限付き移籍で加入していたFW川西翔太がいた。
出場機会を求めて新天地を求めた当時24歳の川西は、試合になかなか絡めなかった前半戦から一転、スピードと多彩なテクニックに泥臭い守備を厭わないタフネスさを融合させ、中盤戦以降はモンテディオに必要不可欠な存在となる。