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text by 編集部 photo by editorial staff

Jリーグへの復帰

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サポーターのことを語ると感謝の熱い言葉が小野選手から次々とこぼれる。世界各国で活躍してきた彼は、その卓越したセンスと技で多くのサッカーファンに愛されている【写真:編集部】

 海外と日本のクラブに交互に所属しながら、オーストラリアのウエスタンシドニーを経て、現在のコンサドーレ札幌へやってきた小野伸二選手。そして稲本潤一選手は、五カ国での活動ののち、川崎フロンターレの後に、コンサドーレ札幌へと移籍してきた。この地で初めてクラブでもチームメイトとなった2人は、おおいなる可能性を秘めた赤黒のエンブレムを胸に、さらなる成長を誓う。

――高校生のときにデビューした稲本選手ですが、その当時「もう大人と対等にできるな」という感覚は芽生えていましたか?

稲本 高校生でJリーグに出させてもらって、最初はいっぱいいっぱいでやっていましたけれども、試合経験を重ねるにつれて、環境に慣れていったことを憶えています。だから、17歳でもプロでできるんだなという手応えは、掴んでいましたね。

――高校生Jリーガーとして注目されることの煩わしさは?

稲本 特になかったですね。当時はエムボマが脚光を浴びていて、みなさんそちらに取材にいっていたので(笑)。正直、ミスをしたとしても大目に見てほしいというような気持もありつつ、思いきってすごく楽しくやっていましたよ。

――2種登録という立場の特権はありますよね。

稲本 そうですね、お金をもらってやっているわけではないので。国体もあったのでその年はプロの契約をしなかった。反対に、翌年はプロとしてしっかり給料をもらって主力でやるということで、責任感は強くなった気がします。それでも18歳だったんですけどね。初めてのケースでしたし、あまりよくわからなかった、わからないうちに試合に出ていたという記憶があります。

――小野選手は高校生の時点で日本の将来を担う存在、として騒がれていましたが、浦和レッズに入ったときの気持ちはいかがでしたか?

小野 自信は持っていました。監督も開幕からスタメンで使ってくれましたし、周りの選手の人たちもぼくのプレーをよく理解してくれていたので、すごく入りやすかった。ファンの多いチームでもありますし、いいところに入れたなという感じがしました。

――Jクラブユース卒でほかのクラブに行くというようなケースはまれですが、稲本選手はガンバ大阪以外のチームに行きたいという気持ちはありませんでしたか?

稲本 いや、なかったですね。よくわからない状態でプロの試合に出て契約していましたから、ほかのチームという選択肢がそもそもなかった。ヨーロッパならもしかしたらあるかもしれないですけれども。当時はとにかくひとつひとつの階段を上がってJリーグの試合に多く出たいと思っていました。

――海外移籍するときには、それぞれ一抹の寂しさはありましたか。

小野 たくさんの人に見送られて本当に嬉しかった気持ちと、これだけのセレモニーをしてもらったら、移籍先でいい成績を残したり、いいパフォーマンスをしたいという決意の気持ちが強かったですね。たぶん、寂しい気持ちはなかったと思います。特にコレオ(多数の人による人文字)を盛大にやってもらったのは、サッカーをやめるわけでもないのに、すごくありがたいことだったな、と感じました。

――稲本選手のガンバ大阪での最終試合はアウェイゲームで、味の素スタジアムにいましたね。

稲本 最終試合でFC東京のサポーターに声援をいただきましたね。いちサッカー選手として見てもらえたんだと思いますし、ほかのクラブからああいうメッセージ(君ならやれるさ、という欧文を電光掲示板)を贈られ、日本中から注目されているんだなという気持ちになり、心から嬉しく思いました。

――日本ではその選手にとっていい移籍の場合は快く送り出す気風がありますね。

稲本 ライバルチームへ行くのではなくステップアップになる移籍であれば、ヨーロッパでもありますよ。ぼくがセレッソ大阪に行くとなると、ガンバ大阪でもあんなことはなかったと思いますけれども(笑)。でも、日本のサポーターは基本的に温かいと思います。

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