「曹じゃなきゃダメ」。その意味とは
卒業後に再びチームメイトとなった日立製作所(現柏レイソル)で、2人は幾度となく日本サッカー界の未来に対して熱く語り合っている。
場所は柏市内のファミリーレストラン。GMを経て現在はベルマーレの社長を務める大倉は、そのときから曹貴裁に対してこんなイメージを膨らませていた。
「この人なら、いずれはJクラブの監督を務めるんじゃないかと。僕にはそう思えたんです」
曹貴裁が浦和レッズへ移籍した1994年シーズンを境に、一度は別々の道を歩み始めた2人は10年後、大阪の地で再び邂逅する。
現役引退後にスペインでスポーツマネジメントを学んだ大倉は、2001年の途中にセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就任。2004年シーズンに臨むに当たって、川崎フロンターレの育成組織で中学生を指導していた曹貴裁をヘッドコーチとして招聘する。
現役引退後にドイツのケルン体育大学へ2年間留学した曹貴裁は真っ赤な情熱をそのままに、卓越した理論をも身にまとった指導者へ成長していた。
そして、2004年秋にひと足早くベルマーレに活躍の場を移した大倉が、再び曹貴裁を呼び寄せる。アカデミーの統括ダイレクター的なポジションに就いた曹貴裁は、2005年シーズンにジュニアユース監督を務める。そのときの教え子のなかに古林将太がいた。
翌年からはユースを3年間率いる。教え子のなかには古林に加えて菊池大介、曹貴裁自らスカウトした遠藤航も名前を連ねた。
ベルマーレという組織のなかで、地域の子どもたちとともに育ってきた。だからこそ、眞壁社長は「曹じゃなきゃダメなんです」と力を込めて言い切ったわけだ。
迎えた2015年10月17日。勝てば無条件でJ1残留が決まるFC東京戦。前半終了間際に先制ゴールを決めたのが古林ならば、同点に追いつかれた直後の後半10分に決勝ゴールを決めたのが菊池だった。