まだ序章に過ぎない新たなチャンレンジ
「練習をすることで僕自身、すごく刺激を受けています。でも、ただ僕が受けるだけでなく、チームに何らかの刺激を与えたいという気持ちもすごく強いし、そのような役割を果たせればいいかなと。
そうした挑戦が、また僕を成長させてくれるのかなと感じています。チームの一員である以上は勝利を願っていますし、上(のカテゴリー)へ躍進していくことを祈っていますので」
今後もコンディションと仕事を勘案しながら、週1回の頻度で練習に参加していく。11日には磐田市内で古巣ジュビロ磐田との練習試合が行われ、中山は後半39分から途中出場。
アディショナルタイムを含めた約10分間はボールを触ることなく終わったが、前回の練習から中7日での実戦復帰は、リバウンドの幅が小さくなってきていることを物語る。
アスルクラロとの契約は今シーズンいっぱいだが、山本代表はこうも語る。
「本人の体調を見てということになりますけど、来年も継続してやれるようであれば、我々としても契約していきたいと考えています」
2012年12月にコンサドーレ札幌を退団したときの記者会見で、中山はあえて「引退」の二文字を封印した。以来、解説などの仕事と平行して両ひざのリハビリを課してきた。あるときには、テレビ局の控え室で専属トレーナーの指導を受けたこともある。
現役復帰にかける中山の熱意に胸を打たれたのが山本代表の実兄で、アスルクラロの運営法人の会長を務める山本昌邦氏だった。
ジュビロの監督及びコーチ、そして日本代表のコーチとしても中山と多くの時間を共有してきた恩師の橋渡しのもとで幕を開けたチャレンジは、まだまだ序章にすぎない。
【了】