信念を貫いたクラマー氏の90年の生涯
2000mを超える高地で6試合を戦い抜いた影響もあって、チームはまさに精根尽き果てていた。ぐったりとした選手たちを前にして、クラマーさんは目を潤ませながらねぎらっている。
「君たちは歴史をつくった。日本が銅メダルを獲得すると誰が想像しただろうか。初めて会ったときに『大和魂とはどんなものなのか見せろ』と言ったが、確かに見せてもらった。最後の最後までみんなで力を合わせて戦いぬく『大和魂』を、今日の試合ではっきりと見せてもらった」
ミュンヘン郊外にあるクラマーさんの自宅には、ちょっと古ぼけた一冊のサイン帳が大切に保管されていた。東京五輪後に椿山壮で催されたクラマーさんへの謝恩パーティーで、選手たちが各々の思いを綴って手渡したものだ。
そのなかに、黒いマジックで記されたこんな英文を見つけることができる。
I don’t like to be Hokkaido bear K, Kamamoto
北海道の熊になんかなってたまるか――。20歳だった釜本が記した不退転の決意は、日本が世界に誇れる偉大なストライカーへと成長させる礎になった。
「クラマーさんは『サッカーが上手くなるには3つのBが必要だ』とよく言っていた。ボールコントロール、ボディバランス、そしてブレイン。瞬時に体が反応するまで基本を反復することと、常に頭を使いながらプレーすることの大切さは、50年前も21世紀のいまも変わらないということなんです」
選手たちの成長を心の底から願っているからこそ、どんなに厳しい言葉を浴びせ、どんなに激しい指導を繰り返しても、そこには揺るぎない信頼感と深い愛が生まれる。指導者としてあるべき理想の姿を、信念を貫いた90年の生涯を通してクラマーさんは後世に残してくれた。(文中一部敬称略)
【了】