選手自らの力で答えを出すために
16歳の少年が、初めて会った外国人のコーチから「北海道の熊」呼ばわりされる。かなりのショックを受けたはずだが、クラマーさんは「北海道の熊から脱却するための方策」を教えてはいない。
最小限のヒントを込めながら過激な言葉を浴びせることで、自らの力で答えを弾き出させるように導く。たとえ試行錯誤を繰り返したとしても、その過程が成長につながるとクラマーさんは考えていた。
果たして、山城高校から早稲田大学に進んだ釜本は、当時では数少ない海外選手の資料を集めては徹底的に研究した。そのなかで、自分なりの結論に達したという。
「要は余計なことをしない。ボールの受けるときの体勢の問題なんですよ。相手に背中を向けてボールをもらえば、まともにプレッシャーを受けてしまう。相手のマークから一瞬だけ離れて半身になって、肩でプレッシャーを受け流しながらボールをもらう。このやり方だと、ボールをまたぐだけですぐに前を向くことができる。南米の選手はみんなそうしていたんですね」
目標としていた東京五輪が近づいてくると、クラマーさんは再び厳しい言葉を釜本に浴びせている。
「ミギ、インターナショナル。ヒダリ、ハイスクール」
利き足と逆の左足によるシュートがあまりに拙いことを揶揄された釜本は、当然ながら上達法を教えてくれないクラマーさんに対して一念発起。何とも奇想天外な練習に取り組み始めた。
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