脈々と受け継がれていく「日本サッカーの父」の哲学
クラマーさんは昨年1月、福岡県で開催された「デットマール・クラマーカップ」に合わせて来日している。
福岡市内で食事をともにした松本さんは、間もなく89歳になる高齢に気を使った大会主催者側が前夜祭以外のスケジュールを入れなかったことに対して、烈火のごとく怒っていたクラマーさんの姿をいまも鮮明に覚えている。
「オレが日本に来ているのに、なぜ指導者たちを指導させないんだってね。釜本邦茂というストライカーを発掘し、育てたクラマーさんは『なぜ第2のカマモトが出てこない。指導者たちは何をやっているんだ』とカミナリを落としていましたし、後で聞いた話では、子どもたちを教える指導者たちが口しか出さない練習を見て『これではダメだ』とまた怒っていたそうですからね」
クラマーさんは晩年まで、ミュンヘン郊外の自宅の地下に作ったトレーニングルームで1日2時間の練習を欠かさなかった。もちろん、サッカーの基本を正確に伝えられる体を維持するためだ。実際、クラマーさんは昨年の日本滞在中に福岡大学サッカー部を急きょ指導している。
そして、再び栃木SCの取締役に戻った昨シーズンも、松本さんは週3回ほどのランニングを自らに課していた。言うまでもなく、エネルギッシュなクラマーさんに刺激を受けたからだ。
年代別の日本代表やJクラブで松本さんの薫陶を受けた選手たちのなかから、実に36人もの監督が生まれている。目を細めながら、松本さんがこんな言葉を残していたことを思い出す。
「僕から何らかを学んでいるはずなので、クラマーさんの教えがしっかりと伝わっていくといいよね」
残念ながら、クラマーさんの来日は昨年1月が最後となってしまった。
「日本サッカーの父」と呼ばれて55年。永遠の輝きを放つ背中と哲学は松本さんをはじめとする「子ども」から、多くが指導者となっている「孫」へ、そして現役の選手や未来を担うジュニア世代からなる「ひ孫」へと語り継がれていく。
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