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クラマー氏が残した哲学とは。教え子・松本育夫氏の回顧録で振り返る「日本サッカーの父」

text by 藤江直人 photo by Getty Images

全身全霊でプレーしている選手にこそカミナリを

 クラマーさんの一挙手一投足に深く感銘を受けた松本さんは、18歳の段階で将来はサッカーの指導者になると決意する。

「サッカーとは監督やコーチに言われてプレーするのではなく、その選手がもつ文化を表現する場だとクラマーさんは言っていた。だから日本代表を指導するに当たって、選手の表現力を最大限に引き出すために、日本人とは何なんだと徹底的に勉強する。日本人には日本人に合ったサッカーがあり、共通する基本というものもあるけれども、基本を実践する際の表現力で違いが出るわけです」

 メキシコ五輪で銅メダルを獲得した2年後の1970年9月に、松本さんは28歳の若さで現役を引退。クラマーさんとの出会いで抱いた志通りに、指導者の道を歩み始めた。

 現役時代をプレーした東洋工業(現サンフレッチェ広島)のコーチ及び監督を皮切りに、1979年に日本で開催されたワールドユース選手権(現U‐20ワールドカップ)での日本代表、川崎フロンターレ、サガン鳥栖、栃木SC、そして長野県の地球環境高校の監督を歴任してきた指導者人生。松本さんは常にクラマーさんの背中を追ってきた。

 たとえば日々の練習では全身全霊でプレーしている選手に対して、常にカミナリを落としてきた。原体験はもちろんクラマーさんだ。

 日本代表における練習を振り返ると、どんなメニューにも絶対に手を抜かないことをモットーとしてきた松本さんが、毎日のようにクラマーさんから怒鳴られる対象となったからだ。

「サッカーの指導者に最も必要な資質はこれなんだと、思わず納得しました。100%の力を出し切って練習している選手が、さらに歯を食いしばって頑張ったときに初めて新しいものが生まれ、それまでできなかったプレーができるようになる。

 手を抜き、サボっている選手に頑張れと言っても、100%までしかやらないじゃないですか。練習で一番苦しんでいる選手に対して厳しい言葉を投げかけたときに、それを受け入れてもらえるような指導者にならないといけないと心に誓ったんですよ」

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