当時、クラマー氏が問いただした「大和魂」
3ヶ条に対するクラマーさんの説明を日本語で再現すると、それぞれ次のようになる。
「グラウンドのなかには、自分以外に21人の選手がいる。彼らがどんな状態であり、何をしようとしているのかを正確に把握し、自分が何をすべきなのかを素早く考えなければならない」
「パスされてくるボールに対し、最も短い距離を走ってボールを迎えにいく」
「パスを出したらすぐに空いたスペースへ動き、そこで再びパスを受ける」
それまでのサッカー人生で受けてきた、数えきれないほどの指導者の言葉が、たった3ヶ条からなる英語に瞬く間に集約されていく。黒板の英語や日本語に訳されるクラマーさんの一言一句が書き記された大学ノートは、その後の松本のサッカー人生を支える宝物になった。
監督として緊急登板した栃木SCでの戦術指導も、この3ヶ条を応用・発展させたものだ。クラマーさんの偉大さを再認識するとともに、松本さんはいま現在の日本サッカー界に対する危機感も心中に募らせたという。
「この3ヶ条がなければ、昔もいまもサッカーはできません。それなのに、いまの指導者たちは3ヶ条を教えられない。実際の試合中で数回しか使えないようなことを、いかにも重要だと教えても何の役にも立たない。必然的に基本ができていない選手が出てきてしまうわけですよ」
指導者に必要不可欠な心構えを、身をもって教えてくれたのもクラマーさんだった。
「お前たちは大和魂をもっているのか」
デュイスブルクでの合宿を皮切りに、クラマーさんが何度も「大和魂」という言葉を選手たちに問いただしたのは有名な話だ。
日本代表のコーチに就任する1960年8月まで、クラマーさんは日本と接点をもっていない。第二次世界大戦に落下傘兵として従軍した経歴をもっていた。それでも、同盟国の日本が特攻作戦に代表される特異な軍事行動の錦の御旗として「大和魂」を謳っていたことも、おそらく知るよしもない。