90歳で他界したデットマール・クラマー氏【写真:Getty Images】
日本サッカー協会(JFA)は18日、90歳で他界したデットマール・クラマー氏へ哀悼の意を表した。
クラマー氏は1960年、1964年東京五輪に向けた日本代表の強化にあたるためにコーチとして来日。ベスト8入りに貢献し、「日本サッカーの父」と呼ばれる存在となった。JFAによる第1回日本サッカー殿堂入りも果たしている。
JFAの大仁邦彌は「日本サッカーの近代化は、クラマーさんによってもたらされたと言っていいでしょう。私も現役時代にクラマーさんの指導を受け、基本を徹底的に教えられました」と語っている。
クラマー氏の提言により、日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に発足。これが、のちにJリーグの誕生へとつながっている。
「クラマーさんのお陰でJSLが創設され、それがJリーグにつながりました。クラマーさんがいらっしゃらなかったら今の日本サッカーの発展はなかったでしょう。サッカーの話をし出すと止まらず、その熱意にはいつも驚かされました。サッカーへの情熱は最後まで変わらなかったと思います」とその功績を称えている。
また、JFA最高顧問で日本バスケットボール協会会長でもある川淵三郎氏は、「クラマーさんと初めてお会いしてから55年。サッカーだけでなく、人生そのものを教えてくださった恩師で、今の僕があるのもクラマーさんがいてくれたからこそです」と恩師に感謝の言葉を述べた。
「最後に話したのは去年。そのとき、『寂しいね』と、初めてクラマーさんの弱音を聞きました」と最期の思い出を明かし、「あれほど真摯に、すべてを懸けてサッカーと人生哲学を伝えようとした指導者を僕はクラマーさん以外に知りません」と語った。
クラマー氏は日本サッカーの発展だけではなく、バイエルン・ミュンヘンの監督として1975年、76年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)2連覇を達成し、アメリカ代表、サウジアラビア代表、韓国オリンピック代表コーチなど様々なチームで指揮を執っていた。
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