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Jリーグ 9年前

G大阪ACL4強、“救世主”米倉の軌跡。攻撃的MFからSBへのコンバートが広げた未知数の可能性

9月16日に行われたACLの準々決勝第2レグ。後半アディショナルタイムの劇的な決勝ゴールで全北現代(韓国)を3対2で撃破したガンバ大阪は、7シーズンぶりにベスト4へ駒を進めた。敗退濃厚の状況を一変させるヒーローとなったDF米倉恒貴は、攻撃的MFからサイドバックにコンバートされてまだ3シーズン目。遅咲きの才能を開花させ、日本代表でも初キャップを獲得した27歳の軌跡を追った。

text by 藤江直人 photo by Getty Images , Kazhito Yamada / Kaz Photography

サッカー人生のターニングポイントを迎えた2013年

G大阪ACL4強、“救世主”米倉の軌跡。攻撃的MFからSBへのコンバートが広げた未知数の可能性
米倉恒貴【写真:Getty Images】

 開幕ダッシュに失敗した上に、主力選手が故障で離脱する。チームを襲った緊急事態が自らのサッカー人生のターニングポイントとなるとは、当時の米倉にとっては夢にも思わなかったはずだ。

 2013年3月31日。ホームにギラヴァンツ北九州を迎えたJ2第6節。11位に甘んじていたジェフユナイテッド千葉は、右サイドバックとして開幕から5試合連続で先発フル出場してきた高橋峻希(現ヴィッセル神戸)を故障で欠いて臨むことになった。

 果たして、代役は誰になるのか。鈴木淳監督(当時)が指名したのは、それまでサイドハーフとして同じく5試合連続で先発してきた米倉だった。

「僕がひとつ下がって、という感じだったんですけど」

 練習では何度か経験があったものの、実戦では文字通りのぶっつけ本番となる。求められる仕事も、目に映る光景も、サイドハーフとサイドバックとではすべてが異なる。

 青天の霹靂だったのでは、という質問をぶつけたことがある。米倉は「そうですね」と苦笑いを浮かべながら、2年半前に抱いた偽らざる本音を打ち明けてくれた。

「そのときは背番号も『11』だったので、『11』番でサイドバックって何なんやという感じでしたけど…」

 もっとも、実際にキックオフを迎えればボヤくことも、泣きごとを言うことも許されない。守備で体を張った上で、自身のストロングポイントを前面に押し出していくしかない。

 いい意味で開き直り、闘うことができるのが米倉の最大の武器といっていい。6ゴールを奪って快勝したギラヴァンツ戦。積極果敢なオーバーラップから放つクロスで、開始4分の先制弾につながるチャンスを演出し、後半終了間際のMFジャイールのダメ押弾をアシストしたのは米倉だった。

 マン・オブ・ザ・マッチ級の活躍とともに、米倉は右サイドバックとして完全に定着。けがから復帰した高橋は左サイドバックに回っている。

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