局面を打開する『個』の力の欠如
確かに、ダービーの敗戦を本田一人の責任にするのは酷だ。チャンスを作れなかったという点についても、一人ではどうしようもなかった面がある。味方が2トップに当てたボールを拾おうにもそこは徹底して切られたし、バッカやルイス・アドリアーノと連係が築けなければチャンスの作りようがない。またゴール前でフリーのスペースに動いても、相変わらず味方に無視ささる場面もあった。
正面からはフェリペ・メロが削りに来て、屈強なインテルのMF陣に囲まれてスペースを潰される。これではパスもボールキープも容易ではない。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』は「DFが整うのは、本田が余計にボールを触って速攻のチャンスを潰すからだ」と批判していたが、これもどうだろうか。ミハイロビッチが監督になってからは、中盤で余計なボールタッチは明らかに控えている印象だ。
本田は連係の中から前を向くタイプで、彼が生きないのはミランが組織として機能していないせい――。そんな見方も可能ではある。
そもそも本田が叩かれるなら、前半のチャンスをものにできなかった2トップや、パス出しに迷ってこねた末に、雑なミドルでチャンスを潰したボナベントゥーラは同様に責められるべきだろう。
しかし、それでも本田は批判を免れない。トップ下として、閉塞した局面を『個』として打開する力が求められていたからである。
「ようは、そういったときに本能で決定的なプレーが繰り出せるかどうかの違いだ」
『個』が局面を打開することの意味について冷静かつ端的に説明してくれた人物が、ダービーをスタジアム観戦したミランファンの中にいた。少年サッカーのコーチ業を営むドメニコ・ジリオ氏は、かつて指導者としてセリエCを戦ったことのある人物だ。
「今回のフレディ・グアリンのゴールを見ろ。あのときはミランの守備陣が一瞬居眠りしていたが、その時を見逃さなかった。しかもヤツは、利き足ではない左であのシュートをねじ込んだんだぞ。試合が拮抗した時、本能でそういう質のプレーが繰り出せるかどうかで勝負が決まる。そしてミランは誰もできなかった。だから負けたんだ」