「一番は選手たちが変わったこと」
スライディングタックルの解禁は、公式戦のピッチにおけるハードワークを復活させただけではない。チームメイトこそがもっとも身近なライバル。日々の練習から切磋琢磨が繰り返され、ポジションを勝ち取る競争原理が再び頭をもたげた結果として、石井新監督のもとで戦った6試合すべてで異なる先発メンバーが編成されたわけだ。
1967年生まれの石井監督は、順天堂大学からNTT関東(現大宮アルディージャ)に入団。2シーズンにわたってプレーした後の1991年に、プロ化へ向けてチーム強化に着手していた住友金属工業蹴球団、現在のアントラーズに移籍する。
当時は神様ジーコが電撃的な現役復帰を果たし、アマチュア体質が色濃く残っていたチームに本場ブラジルのプロ意識を注入していた時期。いぶし銀の輝きを放つ中盤として、1997年シーズンまでに94試合の出場歴を刻んだなかで、練習から激しさとタフネスさを求めるイズムを叩き込まれた。
1998年シーズンこそアビスパ福岡でプレー。その年限りで現役を退いたが、1999年からはユースのコーチ、トップチームのフィジカルコーチおよびコーチとしてアントラーズに携わってきた。
トップチームの監督を務めるのは今回が初めてとなる。それでも、創成期から紡がれてきたアントラーズの伝統を再び具現化させる上では、理想的な人材だったことになる。
FC東京とのナビスコカップ準々決勝第2レグ後に、石井監督にスライディングタックルを解禁させた意図を聞いた。
「普通にサッカーで起こるプレーなので、それをちゃんと練習からやっていこうということ」
温和な人柄を想像させる穏やかな口調。球際が強く、激しくなったと喜ぶ48歳の指揮官は、チームに変化が生じた理由について、「僕のアプローチじゃありません」と謙遜しながらこう続けた。
「一番は選手たちが変わったこと。意識を変えなきゃいけないと、彼らが感じたことだと思います」