解説業が充実する一方で、届かない現場からのオファー
そこで、小倉GM補佐に話を訊いた。こちらはインタビュー形式でお届けする。
――まず、05年シーズンを最後にヴァンフォーレ甲府で現役を退く間際、どういったキャリアプランを描いていたか聞かせていただけますか?
「辞めるときはこれといって計画はなかったです。当時は独身で家庭を持っていなかったので、しばらく世界を見て回ろうかなとぼんやり。ひょっとしたら、僕のほうがヒデより先に旅人になっていたかもしれないですね(笑)」
――そこで決まったのが、『スーパーサッカー』(TBS)のレギュラーです。いきなりテレビの世界に飛び込んだ。
「あれは本当にたまたま、ひょんなことから決まったんです。ゲスト出演した回で、MCの加藤浩次さんやスタッフの方が面白いと思ってくれたみたいで。おかげで解説の仕事もやらせていただいたり、人との出会いに恵まれました。現役引退後、S級ライセンスの取得は頭にあったので、テレビの仕事をやりながらそれも可能だろうと」
――ということは、いずれは指導者の仕事に就くことをイメージして。
「それを意識し始めたのは、ベンゲルと出会ってからです。監督でこうもチームは変わるのかと選手として体感した。仕事として興味を抱きました」
――テレビの仕事はいかがでしたか?
「一切の飾りを取って、自分をさらけだしてやったつもりです。若いときのぶっきらぼうな感じ、あまりしゃべらないイメージを持っていた人はあのキャラクターにびっくりしたみたいですね」
――解説で心がけていたことは?
「自分のサッカー観を通し、見て感じたことをストレートに表現することでした」
――2012年、S級ライセンスを取得します。これは計画通りですか?
「2010年、南アフリカW杯の仕事があって1年遅らせましたが、わりとスムーズに進んだほうです。S級を取得し、現場に立つ意欲はあったのですが、オファーがない。13年、14年と、あのときは正直くすぶってましたね」
――そのとき感じたのは?
「やはり現場を持っていないと声はかからないものだな。そういう世界なんだとわかりました。僕はエージェントと契約もしていないので、待つしかなかった」
――お金の問題で折り合わなかったわけではなく?
「違います。現場に立つ気は満々でしたが、ひとつも話がなかったです。トップではなく育成でもやらせてもらえるのなら、その用意はありました。取り組みが面白いと感じられるなら、報酬の額は問題ではなかったと思います」
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