数々の移籍報道も「楽しんでいました」
実際、新天地の候補として数多くのチームが報じられてきた。
日本代表の盟友であるDF内田篤人が所属するブンデスリーガのシャルケに始まり、ウェスト・ブロムウィッチ、ストーク、ノリッジのプレミアリーグ勢が続いた。
トルコの名門ガラタサライ入りが秒読み段階と報じられたのは7月下旬。続報が途切れると、今度は同じセリエAのジェノア、サンプドリアの名前が浮上した。
移籍期限が近づくと、今夏から日本代表FW岡崎慎司が移籍したプレミアリーグのレスター、スペインのレバンテ、ポルトガルの名門ベンフィカからのオファーも報じられる。
数えただけでも6カ国、10チームが登場しては消えていった騒動を、長友は達観しながら見つめていた。
「新聞上などで勝手にチームが決まっていくのを、僕としては楽しんでいました。本当にいろいろな国に行っていましたよね。精神的にきつかった? 僕にはその言葉はないですね」
そして、時間の経過とともに、インテル内に変化が生じてきたという。
「徐々に(僕に対する)評価が変わっていったというか、そういう感じはありましたね」
複数のポジションでプレーできるポリバレント能力はもちろんのこと、サッカーに対して一途で真摯な姿勢がマンチーニ監督を感銘させ、長友に対する考え方を覆させたのだろうか。
もっとも、残留が決まったといっても、チーム内における序列は変わらない。日本へ発つ直前の30日に行われたカルピとのセリエA第2節で、後半35分から今シーズン初出場を果たした。しかしながら、ポジションは右サイドバックで、先発したイタリア代表DFダビデ・サントンが警告を受けたための交代だった。
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