プロ選手の経験が社長業に活きた
1972年に静岡県で生まれた野々村社長は、サッカー王国でボールを蹴り始め、清水東高校、慶應大学を経てジェフユナイテッド市原(当時)に入団する。中盤を主戦場に活躍すると、2001年に札幌で現役生活に幕を下ろした。
プロクラブの社長に元選手が就くというのは、日本ではまだ少数派だ。しかし、プロとして人生を賭けたからこそ見えるものがある。
札幌は、債務超過の解消が急務だった。単純に、選手にかける金額を減らせばすぐに解決したかもしれない。しかし、野々村社長はそれをしなかった。チーム強化が満足にできなければ試合には勝てず、それによってファン・サポーターが離れてしまうという危惧があったからだ。プロスポーツである以上、結果を出せなければそのクラブの価値は下がってしまう。
そうしたクラブの経営状況の中でも、野々村社長のプロサッカー選手としての経験が活きた。氏の現役時代、Jリーグは1年契約が普通であり、シーズンが終わればその先はどうなるかわからない。だからこそ、日々を懸命に生き、新シーズンの契約を勝ち取るために必死だった。
そうしたサバイバル精神を自然と身につけたことで、債務超過を抱える札幌の社長に就任しても同じスタンス、つまり1日、1日を無駄にしないよう日々を過ごすことができた。
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