カシージャスとペレス会長の間に生まれた軋轢
誰もがペレス会長を恐れてそれを口には出さないが、カシージャスの両親が口を開かなくとも、この二人の関係が良好と呼ぶにはほど遠いのは周知の事実だ。
彼がペレス会長の好みではなかったーペレス会長の長年の望みは背丈のあるGKであり、ブフォンの獲得だったーのに加え、ここに金銭問題が関与してくるから、タチが悪い。
日本では殆ど報じられていないと思うが、カシージャス(正確にはカシージャスの両親)は過去にクラブが払うべき代理人への未支払いの請求を求めて、マドリーを訴えている。最終的にはカシージャスが両親に頼み込み、裁判間際に訴えを取り下げるのだが、この争いは2009年から2012年まで続き、両者の関係が悪化したのは言うまでもない。
裁判はバイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズリーグ準決勝の翌日に行なわれることになっていた。クラブ側からは訴えを取り下げるようにと強いプレッシャーをかけ続けられていたカシージャスは、この大事な試合の前日に殆ど眠ることができなかったという。
もちろん、カシージャスがマドリードを離れた理由はそれだけではないだろう。ロッカールームも二分割されており、ベンチに送られながらキャプテンを務めていた時期も長かった。
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