日本のアジア貢献事業で急成長
カンボジアの急成長は、JFA(日本サッカー協会)のアジア貢献事業が大きく関わっている。カンボジアの育成年代は2007年頃よりJFAから派遣された日本人による指導が始まっており、下の年代から少しずつ土台が作られてきた。
その第一歩として2007年から2010年にかけては、ジュビロ磐田や浦和レッズなどでハンス・オフト監督の通訳を務めた経歴もある手島淳氏がU-14-17の代表監督として指導。2007年に行われたAFC U-16アジア選手権の予選では、それまでとはひと味違うカンボジアの姿を披露している。
手島氏が当時を振り返る。
「初戦でベトナムと1-1のドローだったんです。引き分けて悔しがっていたら、カンボジアサッカー協会の会長から『おめでとう』とわざわざ電話がかかってきまして。なんのことかわからなかったんですが、当時のカンボジアは大敗するのが当たり前で、ベトナムから1点取っての引き分けはセンセーショナルなことだったようなんです」
手島氏はカンボジアを離れたあと、2013年2月から2014年1月までミャンマーのU-14とU-16の監督を歴任している。ミャンマーも今年のU-20ワールドカップに出場するなど成長が著しいが、カンボジアも劣らないポテンシャルがあるという。
「サッカーの上手さで言ったら、ミャンマーの子よりもカンボジアの子の方が上かもしれません。ただ、しんどかったらすぐに走るのをやめてしまうような感じでした。好きなことしかしないので、最初はディフェンスなんて全然しませんでしたね」
そんなカンボジアの原石たちを、日本流の厳しい指導で鍛え上げていった。
「今、A代表に入っているウドムなんかも、最初の印象は『走らないし、守りのマの字もしない』という感じでした。最初の頃に、私の目の前でボールを失って追わなかったので、パフォーマンスだったんですが、グラウンドに入っていって怒鳴ったんです。そうしたら、泣き出してしまって。でも、そこからみんなだいぶ変わりましたね」