FWとしてチームを勝たせることができなかった悔しさが自分を変えた
実は、自分の内側から「こうなりたい」「こう変わっていきたい」というイメージを具体的に持ち、はっきり自分の意志で目標を描けるようになったのは、2008年の北京オリンピックが終わってからのことだ。
北京オリンピックは、私が初めて経験したオリンピックだった。小学生の頃から「オリンピックに行きたい」という目標は持っていた。だから、北京オリンピックの日本代表に選ばれたときは本当に嬉しかった。だが、それはどちらかというと「安堵感」のほうが大きかった。
これでやっと周りの人に認めてもらうことができる。親の期待に応えることができる。今考えると、「オリンピックに行く」という当時の目標は、自分の内から湧き出る目標ではなく、他人から与えられた目標だったのかもしれない。
自分がその目標を達成したいというよりは、周りから期待されて、その期待に応えたいという想いが、私の一番の気持ちだった。
だからこそ、これほど大きな目標を達成したにもかかわらず、心の底からの喜びではなく、安堵感が勝ったのだ。とはいえ、私にとってオリンピックの舞台は、夢であったことに間違いない。
その夢の舞台で、私たちは3位決定戦にまで進んだが、そのメダルをかけた戦いに勝つことはできなかった。その瞬間、今までになかった感情が芽生えた。
自分がFWとして、チームを勝たせることができなかったことへの悔しさ、衝撃の大きさが私を変化させたのだ。そのとき、自分の中で、確かに何かが動いた……。それは、単なる悔しさとは違う感情だった。
「苦しい試合でもチームを勝たせることのできるFWになりたい」
このとき、本当の意味で、自分の内から湧き出る目標に出合うことができたように思う。
それからは、良いときも悪いときも、サッカーを心から楽しめるようになった。
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