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日本代表 9年前

「岳には高い要求を」。苦い経験を糧に“風通しの良い代表”を築いた本田。若手とともに自らも成長

text by 元川悦子 photo by Getty Images

FKを要求も却下。本田の胸に刻まれる09年のオランダ戦

 本田は胸に秘めた思いをストレートに吐露した。もちろん「若い選手も結果を出しているんで、自分も競争に勝ち抜いていかなければいけない」と若手に負けるつもりなどさらさらないが、彼らのいい部分を素直に認め、リスペクト出来るのが彼のいいところ。

 そういう立ち振る舞いをしているのも、自分が代表入りし、定位置を獲得しようともがいていた頃のことを忘れていないからだろう。

 本田が初めてA代表に招集されたのは、イビチャ・オシム監督時代の2006年11月のサウジアラビア戦(札幌)。代表デビューは2008年6月のバーレーン戦(埼玉)にずれ込んだ。

 とはいえ、その後も代表では出たり出なかったりでレギュラーは遠かった。そんな本田がVVVフェンロで1部復帰を果たした2009-10シーズンに開幕4連続ゴールを挙げたことで、岡田武史監督(現FC今治)も大きな期待を寄せ、2009年9月のオランダ戦(エンスヘーデ)で後半頭から切り札として満を持して投入した。

 その本田は中村俊輔(横浜)に「FKを蹴らせてほしい」と堂々と求めたが、けんもほろろに却下され、結果的に惨敗のA級戦犯扱いされる羽目になった。このオランダ遠征の本田は孤立無援状態に近く、本当に苦しんだに違いない。

 当時の日本代表のように一枚岩になり切れないチームは必ずどこかで破綻する。実際に岡田ジャパンは南アフリカワールドカップ直前に大改造を余儀なくされた。その実体験があるから、本田は年齢に関係なく新たな選手を受け入れ、伸び伸びとプレーさせる環境を率先して作ろうとするのだろう。

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