「何としても海外でチャレンジ」。早くから描いた未来予想図
開幕前の下馬評を鮮やかに覆し、岡田ジャパンが南アフリカの地で快進撃を演じた余韻が色濃く残っていた2010年7月6日。凱旋帰国からわずか5日後という慌ただしいスケジュールで、川島永嗣は再び日本を飛び立った。
向かった先はベルギー。新天地リールセとの正式契約と入団会見に臨むためだ。川崎フロンターレとの契約は、PK戦の末に苦杯をなめたパラグアイ代表との決勝トーナメント1回戦翌日の6月30日をもって満了を迎えていた。
フロンターレ側は再三にわたって契約延長を打診。W杯前から交渉の席が設けられてきたが、川島の決意は一貫して変わらなかった。その理由を、当時27歳の川島はこう語っていた。
「W杯が始まる前から、何としてもこのタイミングで海外にチャレンジしようと思っていた。もっと厳しい環境に身を置くことでしか成長することはできないと、自分としては思っていたので。そこへ興味をもっていただいたのがリールセでした」
2010年のW杯に日本代表として出場することを前提として、川島は早い段階からサッカー人生の設計図を描いてきた。
フロンターレでの3年半は、リーグ戦全113試合に先発フル出場して心技体を磨いた。名古屋グランパスの一員だった2004年からの3シーズンは、リザーブに甘んじることを承知の上で、日本代表の守護神としても君臨していた楢崎正剛の間近で成長するめに必要なことを学び取った。
さらにさかのぼれば、2001年にプロとしての第一歩をスタートさせた当時J2の大宮アルディージャでは、練習に明け暮れる傍らで英語とイタリア語の勉強を開始。いまではポルトガル語、スペイン語、フランス語、オランダ語を含めて会話に不自由しない。
周到な準備を積み重ねた末に手にしたここまでのキャリアに対して、1日から千葉県内で行われている海外組対象の日本代表合宿に参加している川島はこうも語っている。
「自分が計画した通りにいかないのが人生であり、サッカーだと思う。自分のなかでは、ベルギーにここまで長くいるとは思わなかったので」