無冠監督は次々と首に
2005年1月、ペレス会長はブラジル代表監督としてコパ・アメリカ優勝などの実績を誇るヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督を招聘する。しかし、約1年後の2005年12月に成績不振を理由にあえなく解任となった。
ルシェンブルゴの後任には2001年からマドリーで育成年代を指導していたファン・ラモン・ロペス・カロを監督に据えた。だが2006年2月、徐々にバランスを崩したチームはCL決勝トーナメント1回戦でアーセナルに敗れ、リーグ戦と併せて連敗を喫したことより2季連続の無冠が濃厚となったことで今度はペレス会長自身が辞任してしまった。(カロはペレス会長辞任後に解任)
その後は4人の会長の下でカロ監督を含め4人がマドリーを率い、3つのタイトルを獲得した。
そして迎えた2009年6月、ペレス氏は再び会長選に立候補して再選。同時にビジャレアルを躍進させたマヌエル・ペジェグリーニ監督を招聘した。バルセロナが隆盛を誇っていた時期、かつてほどのメンバーが揃わなかったマドリーは2期連続の無冠に終わってしまう。
そこでペレス会長は2010年6月にポルトやチェルシー、インテルで輝かしい功績を残してきたジョゼ・モウリーニョ監督をペジェグリーニの後任に据え、タイトル奪還を目指す。
優勝請負人として有名なモウリーニョ監督は、会長の望み通り在任3年でリーグ優勝1回を含む3つのタイトルを獲得した。しかし、最後の2012-13シーズンが無冠に終わるとクラブと双方合意の下で契約を解除し、マドリーを退団した。
最終的にクラブや選手たちと衝突していたとも報じられるほどモウリーニョ監督とマドリーの関係は冷え切っていたという。
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