最初に強化したのは「下部組織の整備」
まずは彼らは、資金を下部組織の整備へ優先的に投入した。施設を拡充し、各年代の育成のために優秀なコーチも招聘。また人材発掘のためにスカウト部門も大幅に強化し、自転車競技チームを持っていた時代に設立したスポーツ医科学研究所も活用した。強化としては回り道だが、自前で人材を発掘し育成できれば、それはそのままクラブの資産となる。
もちろんトップチームも大事にしなければならないわけだが、補強は若手のイタリア人が中心となった。ただこれは、純血主義というよりも結果的にそうなったということらしい。経営を取りしきるカルロ・ロッシ会長は地元紙のインタビューで「外国人選手に対し扉を閉めているわけではない。ただイタリア人で意欲のある若手なら、我々のようなクラブに来てもすぐに順応してくれる」と語っていた。
そしてこれらの人材を、若手で才能のある監督の手に委ねた。その中にはユベントスをチャンピオンズリーグ決勝へ導いたマッシミリアーノ・アッレグリや、今季ラツィオを2位に押し上げているステファーノ・ピオーリもいる。
そういった積み重ねが13年の時を経て今実り、培った哲学は現在のチームにも生きている。所属10年目となるキャプテンのフランチェスコ・マニャネッリは、当時20歳で獲得された若手戦略の走りだ。中村俊輔所属時代のレッジーナでデビューするも、その後伸び悩んでいたシモーネ・ミッシローリも主力として一人前に育てた。そして育成部門はベラルディという逸材を発見。モデナの大学に通学する兄のもとに遊びに来て草サッカーに興じていたところを、評判を聞きつけてスカウトに成功した。
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