“退屈”なサッカーは是か非か
チェルシーのプレミアリーグ制覇が、勝利に徹することと魅力的なフットボールを展開することはどちらかがより重要か、という論争を呼んでいる。
是が非でも勝利に執着するジョゼ・モウリーニョのチームが度々“退屈”と表される一方で、アーセナルのようなチームは“正攻法”でプレーすると賞賛されている。この議論は、浦和レッズが見栄えのない内容でJ1の首位を走っている日本のなかにも存在する。
ミハイロ・ペトロヴィッチのチームは日曜日のベガルタ仙台戦で4-4のらしくない打ち合いを演じたが、それまでの彼らは相手の勢いが落ちるのを待つように持続的に自陣でボールを回し、クロスやセットプレーから得点を狙う退屈な試合運びが多かった。
才能豊かな攻撃の選手を多く抱える浦和の戦力を考慮したとしても、活力を欠けば最高のスペクタクルは生まれない。しかし、現在の彼らのやり方が機能すれば、何か他のことを敢えてする理由もなく、オープンな試合を常にうまく対処する方法がないのも事実だ。
クラブがタイトル獲得を主張するようになって以来、浦和には長い“陥落”の歴史があり、昨季終盤の失速による傷は完全に癒えてはいないだろう。そのため、選手が安全かつ有効なプレーから逸脱することにためらいがあることは理解できる。
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