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Jリーグ 10年前

ALSという難病と闘うFC岐阜・恩田聖敬社長が揮うタクト

text by ミカミカンタ photo by Kanta MIKAMI

周囲には隠した検査入院で告げられた病名

 千葉の病院からは岐阜県内の病院に紹介状を書いてもらっていたが、社長就任に伴う引っ越しや慣れない業務が怒涛のように押し寄せていたため、実際に病院に行ったのは5月に入ってからだった。周囲には隠して精密検査のため神経内科に三日間の検査入院をし、一週間後に検査結果が出た時、はじめてALSという病名がドクターの口から発せられた。ALSというのは決められたいくつもの検査をして、その結果から既知の病気を排除していき、どれにも当てはまらない場合にALSを疑うという、診断からして厄介な病気だ。恩田にとっては大変なショックであったが、その時はまだあくまで「疑いが強い」というレベルだった。奇しくもその夜、古田県知事と後援会の星野会長、そしてラモス監督を交えた4人の食事会が設定されていた。社長に就任してからは多忙を極め、クラブにとって重要なかかわりを持つその4人でゆっくりと話す機会を作れないでいたため、それがそのメンバーによるはじめての機会だった。

「病気のことはかなりショックでしたけど、その方たちとはほぼ初めてと言っていいくらいのじっくり話す機会でした。そんなチャンスに出席しないわけにはいきませんよね。ですからその日は病気のことを深く考える暇はなかったです」と恩田は思い出しながら苦笑いをする。もちろんその場で病気のことはおくびにも出さなかった。

 その頃、妻と二人の子供はまだ千葉にいた。電話で話せるような病気ではない。週末に東京に上京する用事があったのでその時に話すことにし、その夜、帰宅してから両親にだけ話した。両親はALSという病名を知らなかった。息子から説明を受けても今ひとつピンとこなかったが、その後自分たちでも調べてその恐ろしさを知るに至った。恩田は心配を胸に抱いている両親に対し「病状が進行して隠し通せなくなるまではまわりに秘密にして今まで通り仕事を続けたい」と言った。そして週末、妻につらい報告をする日がやってきた。調子が悪いので入院して検査をするということだけはすでに伝えてあった。話をしなければならないのはわかっていたが、聴いてつらくなってしまうであろう妻のことが心配だった。東京での用を済ませ、22時過ぎになって自宅に着いた恩田は意を決して「ちょっと重たい話があるんだ」と切り出した。

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