「トップチームに定着するには不十分な時期もあった」
私は2011年夏に一度目の引退をした後、翌シーズンのスタートをU-21チーム監督のワレン・ジョイスとともに仕事をしながら迎えることになった。ポールはそのチームにいたのだが、明らかに大きなポテンシャルを持ちながらも2011年のクリスマスまでは本当に良いプレーができていたわけではなかった。
トップチームに定着するには不十分だったし、ましてや先発できるほどではなかった。それでも年末までにカーリングカップで3試合に出場し、続いて19歳の誕生日にプレミアリーグデビューを飾ることになった。
振り返れば、2011年12月30日のブラックバーン・ローバーズとのホームゲームがポールの考えに大きな影響を及ぼした瞬間となった。ユナイテッドが予想外の敗戦を喫した試合だ。負傷者の影響で監督はマイケル・キャリックを最終ラインに置き、中盤にはパク・チソンとともにラファエウ・ダ・シウバを選んだ。ポールはベンチにいて、この試合に先発できなかったことに強い不満を覚えていた。
私が1月にチームに復帰する頃には、彼はもう退団の意志をかなり固めていたのかもしれない。だが、ベテラン選手が復帰して彼の前に割り込んだこともプラスにはならなかったのではないかと思う。
実際のところは、彼はそれ以前にもレギュラー確保に値するほどの良いプレーができていたわけではなかった。そうでなければ監督は間違いなく彼を起用していたはずだからだ。準備ができていると確信が持てれば、若い選手を抜擢することも躊躇しない監督だった。