才能が開花した高橋峻希
将来を嘱望されながら苦しみ続けてきた才能が本格開花の時を迎えようとしている。
ジュニアユース時代から浦和レッズで育ち、世代別代表の常連として国際経験を積み、ユース所属時にナビスコ杯でトップチームデビューを果たした高橋峻希のキャリアは順風満帆に思えた。
しかし、その希望はプロの壁に脆くも打ち砕かれた。2009年、山田直輝や濱田水輝らとともにトップチーム昇格を果たすも、負傷で出遅れチャンスを生かせない。結局リーグ戦12試合に出場したものの、本来のポジションであるSBでの起用は少なく、評価自体は芳しくなかった。
さらにその後も苦難は続く。度重なる負傷に悩まされただけでなく、平川忠亮の実力や宇賀神友弥の台頭によって出場機会を満足に得られない日々が続く。
当時はSBとして攻撃力と両サイドを遜色なくこなせる点こそ目立っていたものの、肝心の守備力に対する評価が低く、主力定着には至らなかった。
浦和で挫折を味わった高橋はプロ入り4年目の2012年夏、ついに環境を変える決断をする。J2のジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍を果たすと、そこでは瞬く間に主力に定着。
翌年も千葉への移籍期間を延長して残留すると、プロ入り後初めてリーグ戦30試合以上に出場して存在感を発揮した。
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