日韓W杯のメンバーから落選した中村俊輔(左)とその真相を語ったダバディ氏(右)【写真:Getty Images】
いまから13年前、フィリップ・トルシエ監督が発表した日韓W杯に臨む日本代表メンバーの中に、中村俊輔の名前はなかった。
1997年にJリーグデビューを果たし、2000年にリーグMVPと日本年間最優秀選手賞を獲得した名実ともに国内最高の選手がW杯出場の機会を逃すという事実は、当時大きな波紋を呼んだ。
そして13年後、トルシエ監督の下で通訳を務めていたフローラン・ダバディ氏がフットボールチャンネル製作のJリーグ応援番組『J.Chan』に出演し、事の真相を語っている。
「トルシエ監督はスタメンとして中村俊輔を使う気がなかった」と切り出したダバディ氏は、中村と三都主アレサンドロの2人が“23人目”として検討されていたと話す。
そして、「ジョーカーとして途中から使った時、どれだけゲームの流れを変えられるかを考えるとアレックス(三都主)の方が縦に速いし、一瞬で何かを起こしてくれる」という理由で中村をメンバーから外したと明かした。
2002年当時は足首の負傷がメンバー外の原因とも囁かれていたが、「本当の理由は私たち。トルシエさん、山本さん(山本昌邦コーチ)、そして私の責任。あれはたぶん私たちが間違っていた。呼びたかった」と、メンバー選考のミスを認めている。
しかし、「中村俊輔にW杯を経験させていれば2006年がもっとよかったかもしれないし、2010年がなかったかもしれない」と述べ、その決断は自身にとって日本サッカー界における最大の後悔のひとつであると苦しい心境を告白した。
史上初のW杯ベスト16という日本サッカー史に残る成績を残したトルシエジャパンだが、稀代の司令塔がメンバー入りしていれば結果は違っていたのかもしれない。
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