成功の裏には失敗も。宮本や三都主はイングランド挑戦を断念
吉田や宮市といった成功例もあれば失敗もある。かつて日本代表の主力としてW杯にも出場した宮本恒靖と三都主アレサンドロはともにプレミアリーグ挑戦を目の前にして挫折を味わった。
ガンバ大阪でキャプテンを務めていた宮本は2001年、ウェストハム移籍に迫った。しかし、労働許可証が取得できずに結局は残留を選択している。
のちに日本代表のキャプテンも担う宮本だが、当時は代表デビューを果たしたばかりで、実績面で不足があったと見られる。2002年の日韓W杯直後にチャールトンからオファーを受けた三都主も同じ理由で移籍を断念した。
また、プレミアリーグ以外でも移籍を諦めなければならなかった例がある。2012年1月、当時2部を戦っていたウェストハムの練習に参加し、メディカルチェックを受けて移籍間近と言われていた前田遼一がその最たる例だ。
2009年から2年連続でJ1得点王に輝き、2011年のアジアカップをはじめ日本代表のエースストライカーとして活躍していたにも関わらず、労働許可証の取得がネックとなって獲得が見送られた。ここでも問題になったのは日本代表での出場試合数である。
前田は2007年に代表デビューを果たして以降、2010年まで通算7試合しか出場しておらず、2011年も負傷離脱していた期間があって日本代表としてプレーする機会が十分でなかった。
2009年には日本企業が株式の一部を保有している2部(当時)のプリマス・アーガイルが日本人選手の獲得を試みた。浦和レッズの鈴木啓太やジュビロ磐田のカレン・ロバート(当時)、大分トリニータの家長昭博(当時)にオファーしたと日本で報じられたが、いずれも移籍成立には至っていない。
結局、入団テストを経て流通経済大からGKの林彰洋を獲得したが、このケースでも労働許可証の取得にはルーキーであることや、将来性を評価されて特例が適用されたと見られる。
ここまで紹介してきた失敗例はいずれも労働許可証を取得するプロセスにおいて、実績不足からくるリスクの回避や、アピール不足が原因となっている。
武藤は移籍を検討していた当時の彼らよりも日本代表での出場数は多いが、昨季がプロ1年目だった点や、代表デビューから約半年しか経っていない点を「実績不足」と指摘される可能性がある。