11人の日本人、成功例はごくわずか
2001年にイングランドへ渡った稲本潤一と西澤明訓を皮切りに、15年間で11人の日本人選手がイングランドリーグに挑戦した。2003年に清水エスパルスからトッテナムへと移籍した戸田和幸、同年横浜F・マリノスからポーツマスへ移籍した川口能活に加え、中田英寿は現役最後となった2005-06シーズンをボルトンで過ごした。
最近では宮市亮や李忠成、香川真司がプレミアリーグでプレーし、阿部勇樹はチャンピオンシップ(2部)のレスターで1年半を過ごした。吉田麻也は現在も挑戦を続けている。
しかし、11人の中で成功した例は数少ない。理由はイングランドリーグに存在する厳しい労働許可証の取得条件だ。これに阻まれ、正式オファーを受けて移籍が内定してもやむなく挑戦を断念した日本人選手が多くいる。
まず、イングランドにおける外国籍選手の移籍ルールを確認すると、一般的に設定される外国人枠のようなものはなく、登録人数に制限はない。また、EUおよびEFTA(欧州自由貿易連合)加盟国の国籍を持つ選手は労働許可証取得の必要がない。
それ以外の国(アメリカ大陸やアジア、アフリカ)の国籍選手は労働許可証取得の必要があり、これには厳しい条件が存在する。
1つ目は移籍直前の2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること。2つ目は過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70位以上であることだ。日本は過去70位以下に落ちたことはないため、2つ目の条件を考慮する必要はない。
問題は1つ目の条件だ。満たせていなくても特例が認められて労働許可証を取得できる場合が存在する。だが、これに移籍を阻止された例も少なくない。今回は日本人の成功と失敗から武藤のチェルシー移籍について考察する。