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「ストライカーになることを夢見ていた」。究極の万能型MF、ヤヤ・トゥーレが語る理想の司令塔像

4月6日発売の『欧州フットボール批評special issue02』(カンゼン)では「司令塔はどこにいる? 戦術に“違い”を創り出す男たちの新たな居場所」と題した特集で、マンチェスター・シティのヤヤ・トゥーレへのインタビューを敢行している。一部抜粋して掲載する。(翻訳:田邊雅之)

text by サイモン・マロック photo by Getty Images

ロナウドに憧れ、ストライカーを志した少年時代

「ストライカーになることを夢見ていた」。究極の万能型MF、ヤヤ・トゥーレが語る理想の司令塔像
MFとしてのスキルを身に付けたオリンピアコス時代【写真:Getty Images】

――少し、君のバックグランドについて教えてほしい。コート・ジボワールでサッカーを始めた時期は? 子供の頃に憧れたのは、ちょうど今の君のようなセントラルMFだったんだろうか?

T いつサッカーをやり始めたのかは、覚えてないなあ。多分、歩けるようになってすぐだと思うけど、暇さえあれば、兄弟や友達とストリートでサッカーをやっていた。朝起きた時から夕方、ご飯に呼ばれる瞬間までボールを蹴っていたよ。

 子供の頃に憧れた選手? 答えは簡単さ。ロナウドだ。僕はストライカーになりたかった…チームの全得点を決める選手になりたかったんだ。その点でロナウドはナンバーワンだったし、誰もが皆、彼に憧れていたんだ。

 僕はテレビで試合を見ていたけど、彼のプレーはサッカーがどんなに美しいものかってことを教えてくれたよ。とにかく信じられないようなプレーをする選手だった。とはいっても、子供の頃に影響を受けた選手はもちろん他にもいたさ。パトリック・ヴィエラのプレーなんかも好きだったね。アーセナルで攻撃も守備も担当していたし、うちの兄貴も同じチームにいたわけだから。

――現在のようなMFとしてのスキルを身につけたのは、ヨーロッパに渡る前――ASECミモザにいた頃?

T いや、ミモザにいた頃は、まだストライカーになることを夢見ていたんだ。10番でもよかったんだけどね。攻撃でも守備でも貢献できるセントラルMFを目指したのは、ヨーロッパに渡って、オリンピアコスで数年間を過ごしてからさ。

 僕はリバウドと一緒にプレーしていたけど、彼は相手をマーキングしたりすることを考えずに、自由に攻撃することが許されていた。だから逆にこっちは、それまでは考えたこともなかったような、MFの役割を覚えていったんだ。そしてバルサに行った後は、もっと守備的な役割を任されるようになった。(攻撃陣には)シャビとイニエスタがいたしね。

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