過度な擁護は国際舞台で過小評価される危険性も
審判を守るために言及がなされないという大久保の主張は、Jリーグが開かれた議論に対して全面的に“禁止”している現状を表している。しかし、脱脂綿の中に日本人審判をくるませるこの作業は、彼らの進歩を妨げるようなものだ。準備不足のまま彼らに国際大会で審判を務めさせることは、綿密な調査が進むにつれて過小評価される危険性がある。
例えば、ワールドカップで起きた西村雄一氏の印象的な場面に対するばかげた反応を考えてみよう。42歳の主審は、ブラジル対クロアチアの開幕戦で開催国に寛大なPKを与えてしまい、非難と嘲笑を浴びた結果、同大会ではそれ以上笛を吹くことはなかった。この決定は彼を論争から保護するためFIFAによって下されたものだが、もし彼が世間の注目が集まる環境の中でこのような判定を下すことに慣れていれば、彼が攻撃を受けやすい場所から避難する必要はなかった。
しかしながら、ソーシャルメディアの中では、これらのシーンは繰り返しハイライトで流され、議論された。実際、ファンが利用可能なSNSを通して共有した方が議論をする上では都合が良い。
これらのサービスは現在、世界中で利用することができ、議論の対象となる事例についてはファンが意見を発散させるためのものとして使われている。また、これらのサービスにおいては、Jリーグの権限が和らぎ、国内メディアが行動の自由を与えられる前に、遅かれ早かれ誤審に対する議論を深めることに貢献していくだろう。
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