仏では「独裁者」のイメージも
貢献を認められ、シーズンオフに彼は昇給と契約延長をゲットした。8月に新シーズンが開幕すると、副キャプテンとして戦列に加わったフィオレーズはしかし、移籍期限締め切りギリギリの8月31日の深夜、電撃的に移籍を発表した。行き先は、こともあろうにパリの最大のライバルであるマルセイユ。
9月2日、新加入選手のお披露目会見の席でフィオレーズの退団について聞かれたハリルホジッチは、感情を抑えきれずに思いのたけをぶちまけた。
「ほんの1ヶ月前までは仮面を被っていた。彼がしたことは、クラブを人質にとったのと同じだ! この(移籍)話を聞いて自宅に帰った夜、わたしは気分が悪くなり、嘔吐したよ」
メルカート終了ギリギリに主力選手を失い、新戦力を補強する間がなかったことにハリルホジッチは憤慨したが、何よりも彼の逆鱗に触れたのは、フィオレーズが表面では平常を装い、水面下で移籍を画策していたことだった。
この移籍話には紆余曲折があり、フィオレーズには彼なりの言い分があった。
彼と指揮官の間にはすでに亀裂が生じていて、たとえば新加入メンバーがチームに順応できていないことを副キャプテンとして監督に進言した時も彼の意図が十分に伝わらず、2人の間の溝を深める結果になったとつい最近のインタビューでフィオレーズは述懐している。
マルセイユの一員となった彼がアニゴ監督に言ったという。
「ミリタリーキャンプから逃れて、ファミリーのものとへ来ました。ここでは人々が笑顔で語り合える。独裁者はいない」
この台詞は、当時メディアで大々的に伝えられたものだ。こうした逸話から、ハリルホジッチが「独裁者」である、というイメージは少なからずフランスにはびこっている。
フランス代表戦の放映権をもつTF1テレビのプロデューサーであり、フランスサッカーメディアの重鎮、ミニョニャ女史も「とにかくヴァイッドは扱いが難しい人だった。自分がこう、と思ったら絶対に曲げない。当然、選手の中にも苦手意識を持っている者もいた」と振り返る。