CL決勝では常に苦戦
2度目の優勝は、ジャンルカ・ヴィアリ、ファブリツィオ・ラバネッリ、アレッサンドロ・デル・ピエロらがいたリッピのチームで、ローマの空の下でトロフィーを掲げた。しかしながら、PK戦に勝敗を委ねることになり、チームとサポーターにとっては長い夜だっただろう。試合はユベントスが支配していたが、最後に敗戦する可能性もあった。
信じられない敗戦について話すのであれば、アヤックスと対戦した1973年とハンブルガーと対戦した1983年の決勝を経験したあと、1995-96年に元ユベントスの選手が数人所属していたドルトムントとの一戦だろう。
ユベントスは2点のビハインドを追いかけ、前半にジネディーヌ・ジダンがポストを叩くシュートを放つと、後半にはクリスティアン・ヴィエリのシュートがクロスバーに当たってしまい、得点を奪えず。“ビアンコネーリ”は明らかなPKを2度も認められなかったことに不満をもらしたが、決勝は3-1で敗戦した。
翌年、ユベントスは再び決勝へ進み、レアル・マドリーと対戦。試合は非常にバランスがとれていたが、UEFAが後に明らかなオフサイドだったことを認めたプレドラグ・ミヤトビッチのゴールで試合が決まってしまった。
2003年には、セリエAで11ポイントも差を広げていたミランとオールド・トラフォードで対戦した。この試合では、準決勝の2ndレグ終了まで残りわずかという時間帯でイエローカードを受けてしまったバロンドーラーのパベル・ネドベド抜きで戦うことを強いられ、“ビアンコネーリ”はまたもや運命に見放された。
現役時代のアントニオ・コンテがヘディングをクロスバーに当てた時は優勝に近づいたが、この決勝自体はひどい内容だった。準決勝のインテルとの2試合をともに引き分け、最後の3試合は事実上勝利を収めるなく勝ち上がってきたミランにPK戦の末に敗れた。