長きに渡る低迷、八百長、買収
広州恒大が2009年に中国全土を震撼させた八百長事件によって中国超級リーグから降格したとき、誰がたった6年でアジアのスーパークラブになることを予想していただろうか。
クラブの歴史は、低調な成績から始まり、成功の見込みがない中で歩んできた。50年代から80年代にかけて数回の2部リーグタイトルの獲得や、90年代に数回ほど2位で終えることが精一杯だった。
トップリーグにしばらく所属した後、クラブは1998年に甲級リーグ(2部)に降格。だが、苦労して超級リーグ(1部)へ戻ったところで、八百長を行っていたことが判明した。
調査によれば、広州恒大のヤン・スーGMが呼和浩特黒馬のGMに金銭を支払い、5-1で勝利を確定させたという。八百長事件の前年にやっとの思いで昇格したクラブは、最終的に2部へ降格させられた。
そして、広州恒大地産集団のクラブ買収である。大手不動産企業は、クラブが最も衰退する2010年2月に所有権を持ち、直ちに資金の投入を約束した。
ペン・ウェイグオ監督に代わる指揮官として北京国安足球倶楽部のイ・ジャンスー監督を招聘し、中国代表クラスのガオ・リン、サン・シン、ジェン・ジーらを獲得。アトレチコ・ミネイロのブラジル人のムリキとは中国国内最大級の移籍金でサインし、クラブの意思を表明した。
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