Jリーグ初となる得点
――レギュラーシーズン最終節は負けてしまいました。その試合中、大分の途中経過を知っていましたか。
山岸 大分の状況がわかったのは残り5分くらいでした。アディショナルタイムに入るくらいで僕らのCKになったんですよ。それでベンチに「僕、行く?」って確認したら「行かなくていい」と言われたので、「あ、そういうことか」と思って。
――事前に最後のCKでは前線に上がろうと考えていた。
山岸 もし大分が勝っている状況で、うちがドローかビハインドの状況だったら「前に行きますよ」と試合前から伝えてありました。本当にラスト数分で、CKの時にサインを出したら「行かなくていい」と言われたので、うちが優位な状況というのがわかったんです。
――その次の試合、プレーオフ準決勝の磐田戦は他の結果に関係なく前に出なければならなかったですが、ベンチに最終節と同じことを聞きましたか。
山岸 あの時は92分だったと思うんですけど、僕が走り出してベンチをパッと見たら「行け! 行け!」と合図されました。
――あの時は自分のところにボールがくることをイメージしていた。
山岸 まさか僕のところに本当にボールがくるとは思っていませんでしたね。僕がエリアの中に入ったことでマークが一人食いつけば何かあるかなというくらいで、ゴールを決めるつもりは全くなかったです。自分がシュートを入れる可能性なんて1%以下ですよ。
――珍しいですよね。
山岸 Jリーグでは初めてらしいですね。
――ストライカーだとしてもスーパーゴールでした。
山岸 もうできないですよ(笑)。
――ヘディングシュートの練習をしていたと話していましたが。
山岸 練習は最終節の東京V戦の前に少しだけですよ。コーチと一緒にやっていましたが、その時はヘディングなんて全然決まらなかったですからね。9月か10月あたり、右サイドアタッカーの山田拓巳が居残りでクロス練習をしていたのですが、監督が中のターゲットマンをやっていたんです。
石さんが何本も何本もやっているから、「石さん、僕が入りますよ」と言って、リラックスした雰囲気の中で山田のクロスに合わせてヘディングをしていたのですが、まあ入らないですよね(笑)。
――まさか自分のヘディングで試合が決まるとは思っていなかった。
山岸 難しかったのはゴールの後でした。92分に決めて、試合が終わる94分までの2分間のプレーがすごく難しかった。自分の胸はドクドクしているし、気持ちを落ち着けなければいけないと思っていました。
――ゴールを決めた瞬間は、何を思っていましたか。
山岸 真っ白です。
――あのゴールは世界中で話題になって、イタリアでは『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のウェブサイトでも紹介されました。モンテディオ山形は海外でも一躍有名になりました。あのゴールの後、チームメイトや家族、友人など周囲の反応はいかがでしたか。
山岸 子供よりも、妻が冗談半分で「14年間で初めてパパのことカッコいいと思った」と言っていました(笑)。八割以上冗談だと思いますけど、「本当かよ! もうちょっと思えよ!」と。帰りながら携帯はずっと鳴っているし、メールやメッセージは300件くらい来ていたし、申し訳ないですけど途中から携帯を触らなくなりました。それだけでバッテリーが切れましたからね。
――その後すぐにプレーオフ決勝がありました。準決勝を経て自信が生まれていたのではないですか。
山岸 磐田戦で勝った後もチームは浮かれなかったんですよ。浮かれてもいいような試合の内容と結果でしたが、まだ決勝もあるし、何も決まっていないし、決勝に勝たなければ何も意味がないとわかっていましたから。
――それは監督の影響もあるのでしょうか。
山岸 そうですね。石﨑さんの落ち着きとか、余裕はチームにいい影響をもたらしてくれました。
続きは『フットボールサミット第28回』でお楽しみください
フットボールチャンネルfacebookはこちら→
フットボールチャンネルTwitterはこちら→