ハリルホジッチの「経験」
――これまでの代表監督は国民に愛されて“●●”ジャパンと呼ばれてきたが、ハリルホジッチ監督は何と呼べばいいか?
まだ日本に着いたばかりなので、過去何があったのかはよく分からない。今は、早く仕事がしたいという気持ちでいっぱいだ。既に大仁会長、霜田技術委員長は我々を信頼してくれている。代表監督でも間違いを犯すこともある。ただ、私がここに来たのは、みなさんと仕事がしたいということだ。みなさんの助けが必要となる。私はここに来て日本のデリケートな現状を見たが、さらにデリケートな現状で仕事をしたこともある。グラウンド内でも、グラウンド外でも、それを向上させることをやってきた。
先ほども言った通り、本当に日本には日本代表が大好きな人がたくさんいる。みなさんが何年か前にイビチャ・オシムと仕事をしたことも知っている。彼は私にフットボールの情熱を教えてくれた。彼からは日本国民がフットボールに情熱があり、仕事熱心なことも聞いている。それに対して私は幸せに思っているし、何かを成し遂げられればさらに幸せだ。
代表監督として一番うれしいのは、ブラジルW杯の後に、アルジェリアである人が来て、誰かが私のところに来てありがとうと言ってくれたことだ。アルジェリアと日本を比べるわけではないが、アルジェリアは代表レベルで結果を残したわけではない。彼らは私に対してすごくリスペクトしてくれた。日本代表でも同じようなことが起きてほしい。今アルジェリアに行くと、道ですり違っても幸せそうな顔をしている。みなさんにメダルを届けたいと思っており、その責任は私にあると思っている。
――母国であるボスニアは90年第で紛争があったと思うが、どんな経験だったか? 人生の哲学は?
ボスニアは本当にデリケートな時代を送りました。私の妻は2、3日前に日本の歴史の本を買ってくれた。日本でもやはり難しい時代送っていたことを知った。私も個人的に人生でものすごく困難な時を過ごした。ユーゴスラヴィアの戦争も経験したし、けがもした。
そして、国を守るためにたくさん戦った。しかし、仕事については信頼を持ちながらやってきた。
その中で私はフットボールが大好きになった。政治的な話も宗教的な話もしないが、フットボールのおかげで人生が本当に素晴らしいものになった。選手としても監督としても、タイトルを取ることができた。私が集中していることは日本代表がより状況に良い持っていくことた。これに関しては熱意に満ち溢れており、向上心もある。みなさんの国で何かを成し遂げたい。日本というフットボールが盛んな国に呼んでいただいて本当に感謝している。
フットボールはマジックのようなものだ。このフットボールの情熱はいろんなものに影響を与える。私の全てはフットボールに捧げている。