“鶴のひと声”から技術委員会主導へ
4年後の2006年6月。ジーコ監督のもとで惨敗を喫したワールドカップ・ドイツ大会の帰国会見の席で、当時ジェフユナイテッド千葉を率いていたオシム氏の名前を滑らせた川淵会長は、苦笑いしながら「いま、オシムって言っちゃったね」と後任監督候補として交渉中であることを認めた。川淵会長がジェフの前身である古河電工の出身という関係もあって、強引な引き抜きだとしてジェフサポーターの強い反発を招いた。
コネクションに頼った前時代的な選考方法にメスを入れたのが、2009年2月に強化担当の技術委員長としてJFA入りした原博実氏だった。ワールドカップ南アフリカ大会直前に戦い方を転換させて、日本代表をグループリーグ突破へ導いた岡田武史監督の英断と勝負度胸を高く評価しつつも、原技術委員長はその後の4年間を託せる指揮官を海外に求めた。
点取り屋として1980年代の日本代表を支え、浦和レッズとFC東京で監督を務めた経験を持っている点で、原氏は歴代の技術委員長と一線を画していた。日本人の長所を生かすことをコンセプトとして掲げ、ヨーロッパに精通した独自のネットワークを駆使して候補者サイドと接触。2010年夏は意中としていたアギーレ氏との交渉がまとまらず、最終的にはJFAへ売り込みをかけてきたアルベルト・ザッケローニ元監督との契約に落ち着いた。
それでも、代表監督人事を技術委員会が主導する流れをJFA内に作り出し、その流れが昨年夏に4年越しで成就させたアギーレ前監督の招聘、そのアギーレ氏との契約を解除した今年2月以降の動きにつながっている点は高く評価されてもいい。その一方で、技術委員会に課される仕事のひとつである「代表監督の評価」がドライな立場と視点から実践されてきたのかといえば、残念ながら疑問が残る……(全文は『フットボール批評issue04』でお楽しみください)
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