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日本代表 10年前

日本代表監選び、JFAの功罪を問う。「代表監督の評価」は適切に行われてきたか?

3月6日発売の『フットボール批評issue04』(カンゼン)では「日本代表を強くするのは代表監督ではない」と題した特集で、強化のビジョンを検証。日本代表監督選任の歴史を振り返りながら、日本サッカーが抱える構造的な問題を掘り下げている。一部抜粋して掲載する。

text by 藤江直人 photo by Getty Images

組織の機能不全を感じさせるJFA特任理事・中西哲生氏の問題発言

日本代表監選び、JFAの功罪を問う。「代表監督の評価」は適切に行われてきたか?
「ジーコに聞いてみたら」と発言した川淵三郎JFA会長[左](当時)【写真:Getty Imeges】

 思わず耳を疑った。2月3日午後5時すぎ。民放各局のニュース番組が緊急速報と銘打ち、ハビエル・アギーレ日本代表監督との契約解除を発表する日本サッカー協会(JFA)の緊急記者会見の生中継を始めてからしばらくの時間が経過したときだった。

 日本テレビ系列の『ニュース・エブリィ』に急きょ出演したサッカー解説者の中西哲生氏が、アギーレ前監督の後任候補の私案として前名古屋グランパス監督のドラガン・ストイコビッチ氏、前ブラジル代表監督のフェリペ・スコラーリ氏の名前を挙げたからだ。

 中西氏はJFAの特任理事に名前を連ねている。議決権こそ持たないものの、特任理事はJFAの理事会に出席し、意見を述べ、質疑にも応じることができる。世間の関心が後任監督に移っていくなかで、スポーツジャーナリストの肩書をもつ中西氏はそうしたニーズを先取りする形で2人の名前を挙げたのだろう。しかし、JFAの最高意思決定機関である理事会の承認を経て後任監督が誕生する流れを考えれば、理事会のメンバーである中西氏の発言は軽率だったとの誹りを免れない。

 もっとも、技術委員会が主導して候補者を選び、理事会に推挙する流れが定着したのは2010年のワールドカップ南アフリカ大会後のことだ。記憶に新しい日本代表監督でいえば、1998年9月に就任したフィリップ・トルシエ氏は、技術委員会が送ったラブコールを固辞したアーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督から代わりに推薦された人物だった。

 トルシエ氏に続くジーコ、イビチャ・オシム両氏の招聘はJFAの川淵三郎会長(当時)のトップダウン、いわゆる「鶴のひと声」で決まっている。2002年7月に就任したジーコ氏の名前は、技術委員会が作成した5人の候補者リストのなかに含まれていなかった。状況を一変させたのは、リストを見た川淵会長が発した「ジーコに聞いてみたら」だった。

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