「いつもタックルはやり返していた」
選手としては、練習中であれ試合中であれ、私はタックルを受けるのが大好きだった。気迫のこもったチャレンジは、全く同じことを仕掛けてこいという誘いだと捉えていた。私もチャンスを待った上で、10回中9回はやり返していた。同じ相手との次の試合や、次回の練習を待たなければならないのならそれでも良かった。
ユナイテッドでプロになりたての頃、Aチームでもその後のトップチームでもブライアン・ロブソンと一緒にプレーした。ブライアンにとってはどのレベルでの試合であっても、どのチームメートが相手に蹴られたとしても同じことだった。5分以内に、その相手選手はブライアンによって地面に横たえられることが保証されていた。彼がそうすることに誰も不平を唱えはしなかった。
何年もプレーを続けていく中で、酷いタックルを受けたこともあったが、それもプレーの一部だと受け止めていた。特に記憶に残っているのは2006年、グラスゴーで行われたチャンピオンズリーグのセルティック戦でボボ・バルデから受けたタックルだ。後から見直した時には自分の足の曲がり具合にショックを受けた。私が先にボールに行った後、彼の足に捕まる形になったが、何も悪意はなかった。そういうことは起こるものだ。その時ばかりはやり返そうとはしなかった。彼はあまりにも巨漢だったので、自分が痛めることにしかならなかっただろう。
ある種の選手たちが狙われやすいことは私もよく分かっているし、本当に無謀で汚いタックルに対する線引きは必要だ。だが、相手選手に当たる全てのタックルが脚を折るようなものではないし、蹴られるたびに毎回憤慨する必要があるわけでもない。
現役時代の審判に関しては、誰が笛を吹いているのか気にしたことすらなかった。試合の前であれ終了後であれ、そんなことは意識にも上らなかった。監督たちにとってはそういう細かい部分は重要だが、いつも審判についての話をするという理由だけでは、必ずしも彼らが幸運をもたらしてくれるとは限らない。
【了】
(※)本記事はインデペンデント紙との独占契約により、Football.Blueが日本での配信を行っています。
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