適任かどうかは就任するまで分からない
こうした単なる惰性としての外国人監督依存という、文字通りの他力本願が多数を占める現実は、その根底において、自国を守ることさえも他者に依存する様と似ている。
したがって、極めて高い確率で、今後も同じような空気の中で、その恥ずかしさに気付くことさえないままに当分の間、「どこの誰が今フリーらしい」とかいう類の情けない論調が大勢を占め続けていくのだろう。
だからこそ今、そうした空気に覆われているからこそ繰り返し述べておきたい。アギーレの後任は、是が非でも「日本人監督であるべきだ」と。
自分たちの代表を自分らの力で強くするという気概なくして一体どうやって強くなるというのか。
適任か否か、就任の前から分かるはずがないではないか。適任者を名将というのであれば、それは本来、経験を積み実績を得ることでこそその地位を築いていくものではないのか。
日本にゴマンといる日本人指導者たちが、「日本代表監督」という最高位を目指さずして一体どうやって優れた指導者たり得るというのだろうか。目先の結果だけでなく未来に大きな成果を得るために指導者を育てる。そのような選択がなぜできないのか。
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