バラバラ人事と自分たちのサッカー
現役のJクラブ監督には声をかけないという制限を協会が予め設けてしまったこともあるが、プロ化からのみ数えても既に20数年の歴史を重ねておきながら「適任者がいない」とすれば、では一体この20年もの時間の中で人々が、日本サッカー界の現場に生きた人々が重ねてきた努力は何だったのか? ではその適任者なる人物を得るために日本は、果たしてあと何年の歳月を要するのであろうか?
忘れてはならないのは、過去5度のW杯で最も長く大会に留まった(ベスト8に近づいた)のは他でもない、日本人監督率いる代表であったという事実だ。
そしてもう1つ、心の底から理解に苦しむのが、これもまた複数のメディアで語られている「誰ならば日本を強くしてくれるのか?」という、いかにも卑屈という以外にない、主体性の欠片もない、単なる惰性としての“外国人頼み”という、文字通りの他力本願である。彼らにプライドはないのか。
少なくはないメディアが「外国人監督候補リスト」を載せた。てんでバラバラのサッカーをやるであろう監督5~6人を並べては、それぞれのキャリアを紹介し、では各々の監督が仮に日本を率いた場合にどうなるかという具体論などは一切ない記事だ。もちろん外国人依存に疑問を呈すなどは一切ないまま公にしている。ここにも主体性は欠片もない。
したがってこう思わざるを得ないのである。
「あれだけ“自分たちのサッカー”を声高に唱えていたのは一体なんだったのか?」
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