抜群の才能も、17歳から成長見られず
結局、ベンゼマをクラブのエースに育てたいと考えていたオラス会長は、扱いにくいベン・アルファをマルセイユに手放したのだが、ここでもPSGとのクラシコでメンバーから外されたことに怒ってエリック・ゲレツ監督と衝突するなど、ピッチ上での活躍よりも外での素行の悪さばかりが話題になった。
フランス代表でも、08年のユーロと10年のW杯では、プレセレクションには入ったが最終メンバー23人からは漏れ、念願叶って出場を果たした12年のユーロではブラン監督とぶつかり、規律委員会から厳重注意を受けるという汚点のみを残している。
フランス人の記者仲間からも良い話は聞かない。「あいつは自分の能力を過信して天狗になった、素行の悪い愚才の典型だ」と。
しかしこういう噂話をする人に限って、本人とは一度も直接話したことがない場合が多い。1987年からリヨンを取材する同クラブの筆頭番記者、レキップ紙のデュルク記者に尋ねると、やはり反応は違っていた。
「彼はよく考えて慎重に発言するし、人柄も全く問題ない好青年だよ。ただ、自分がどうすればいいかわからずいつも迷っていた感じの子だった。」
ベン・アルファは17歳ですでに、今のレベルに達していたという。言い換えれば、そこで成長が止まってしまった、ということだ。
「彼自身、周りの助言に耳をかすタイプではなかったし、周りも彼の扱い方を間違えた。うまく伸ばしてやることができなかったんだ。」
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