誰からも愛された存在
4つ目はストイコビッチの持つ“ガッツ”だ。これは彼が多くの選手たちから尊敬される理由でもある。彼は日本のサッカーに不足している“ずる賢さ”や“勝者のメンタリティ”をチームに注入できるはずだ。
日本でプレーしていた際、彼は度々警告を受けては何度も出場停止処分を食らっていた。1996年に中村忠(当時V川崎)に対して頭突きを見舞った事件や、翌年の横浜マリノス(当時)戦では提示されたイエローカードを主審に突き返すといった行動も、勝ちたい気持ちが行き過ぎたが故の裏返しと言えるだろう。
2001年までプレーした代表チームでは、試合の度に日本から遠くヨーロッパへ戻って母国をけん引。1998年のフランスW杯出場に大きく貢献し、EURO2000でも途中出場で3点のビハインドを帳消しにする活躍を見せるなど常に先頭に立ってユーゴスラビア代表を鼓舞し続けた。
そして最後の5つ目は、ストイコビッチ氏はすべてのサポーターに愛される存在で、日本での知名度も高いということだ。彼のことを子供のころから知っている選手たちには、監督と選手という関係で仕事をすれば自信を与えることもできる。ストイコビッチという人物は外国人監督でもあり、もはや“日本人監督”でもあるのだ。
たとえば、名古屋グランパスを率いていた2009年、横浜F・マリノス戦で見せた“革靴ボレー”はいまでも語り草になっており、誰もが知っている。
負傷者が出たため、横浜FMのGK榎本哲也がボールをピッチ外へ蹴り出すと、ベンチのそばに立っていたストイコビッチ監督がスーツ姿に革靴を履いた状態でダイレクトボレーシュートを放った。直後に退席処分となるのだが、美しい放物線を描いたボールがそのままゴールに吸い込まれた光景は、その試合を観ていたスタジアムのサポーターたちが最も盛り上がったシーンだった。
この行為は一見批判されてもおかしくないが、彼の卓越した技術のなせる業と、彼の人柄もあって誰一人批判する者はいなかった。
2013年のコンフェデレーションズ杯からブラジルW杯、アジア杯と3つの大きな国際大会で残念な結果に終わり、今回のアギーレ前監督についての混乱が去った後、ドラガン・ストイコビッチという男は日本サッカー界に新たな情熱をもたらしてくれる完璧な選択肢だと言えるだろう。
【了】
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