FWだった少年時代
サッカー熱が高じた麻也少年は、平日週3回の南陵の練習に加え、仁田小の少年団の練習にも顔を出していた。学校の仲間とも仲が良く、和気あいあいとしていたが、試合になると別。両者が対戦するときは周りを巻き込んで物々しいムードに包まれた。
南陵の方が老舗クラブで保護者たちのプライドは高い。一方の仁田小を応援する人たちのライバル意識も少なからずある。吉田は「クラシコ」と称したが、それだけ熾烈なバトルが繰り広げられたのだ。
「麻也が5年生の時に両チームの死闘がありました。長崎の別の小学校の保護者までが見に来て、すごい熱気だったのをよく覚えています。試合は仁田が早い段階で2点を入れて、南陵が1点を返したあと、仁田がさらに2点を加え、4対1になった。
私たち親も『もうだめだ』と思っていました。ところが、試合終盤に南陵が3点を入れて同点に追いついたんです。結局、PK戦になり、どっちもエースが外したんですが、最終的に南陵が勝ちました。麻也はFWだったんですが、相手にピッタリつかれて結構激しく削られていたので、私たち親も心配になったほどです」
昭子さんは忘れられない名勝負を今一度、振り返ってくれた。
母がハラハラドキドキしながら息子のプレーに注目する傍らで、父はじっと黙ってビデオを撮影していた。有さんは中学・高校でサッカーをやっていたが、「子どもの指導はコーチに任せるべき。親は一切、口を出すな」という哲学をもっていて、自ら子どもたちを叱咤激励することはしなかった。
「父親はビデオを撮ってるイメージしかない」と吉田も言う。ただ、その映像が彼の成長の助けになったのだから、父もうれしいだろう。
「家に帰ってそのビデオをみんなで見て、兄ちゃんがちょいちょい何か言ってくるというのはよくありましたね。それが習慣になって、自分が出た試合の映像は毎回、見るようになりました。今では当たり前になっていることだけど、その頃が始まりですね」
今や日本代表の軸となった吉田は、自分のプレーやチーム全体を客観視できるところがひとつの長所だが、それも幼い頃からの積み重ねだった。
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