家の前の坂道でボールコントロールに磨きをかける
「坂道だと、ボールを蹴ったら跳ね返ってくるじゃないですか。小さい子だと、そんなに飛ばないから、ちょうどいい感じで跳ね返ってくる。そういうコントロール練習をよくやってました」と本人も懐かしそうに話す。
長男・穂波さんも弟のボール扱いの練習によく付き合った。兄はボールを転がす側に入るのだが、スピードや勢いを変化させれば、幼い弟はそれに合わせて動かないといけない。
GKだった7歳年上の兄は、しっかりと顔を上げて視野を確保しながら正確に止めて蹴ることの重要性をよく理解していたから、小さな弟にもそれを叩き込もうとした。
「麻也は結構左足でも蹴れますし、視野も広い。今考えると、あの坂道の練習はすごくプラスになってるのかなと思いますね」
今は少年サッカー指導に携わっている穂波さんが冷静に分析する。
麻也少年は小さい頃から体が大きく、同年代の仲間たちとボールを蹴るときは、高さと強さだけで勝てる傾向が強かった。が、兄たちの中に入るとただのちびっ子になってしまう。「自分は全然、下手なんだ」と思わせ、一生懸命スキルを身につけようという意欲を高めてくれる年長者が身近にいたことは、彼のレベルアップにつながった。
佐古小学校の少年団(のちに南陵FCに改名)に入って、本格的にサッカーを始めたのは小学1年生のとき。麻也少年は仁田(にた)小学校に通っていたのだが、その少年団は3年生からしか入れず、隣の佐古(さこ)小学校は1年生から入れる。そういった経緯もあり、彼は佐古小の少年団を選んだ。
といっても、長崎市内の場合、目と鼻の先にふたつの小学校が隣接しているケースが結構ある。仁田小と佐古小がまさにそうで、両校は歩いて2~3分の距離。吉田家から通うのに支障は全くなかった。
ただ、問題は帰り道の急坂だ。「行きは自転車で2~3分で着いてしまうけど、帰りは歩いて10分以上かかる」と穂波さんは話していたが、この登り坂で、足腰は相当鍛えられた。しかも南陵の指導者が厳しかったため、子どもの頃から苦しさを学ぶことができた。