本田「エゴイストだった自分を星稜での3年間で変えられた」
実際、星稜出身者の多くがハキハキとした受け答えができ、人の目を見て話せる。本田(現・ACミラン)や鈴木(現・柏レイソル)らトップ選手はもちろんのこと表舞台に出てこない出身者でも快活な印象が強い。
「僕が星稜のトレーナーだったときも、気が利かないスタッフにはすごく注意していました。電話の取り方1つにも『“はい”じゃなくて“もしもし○○です”としっかり名乗れ』と繰り返してましたね。自分も細かいことに気づくようになったし、河崎先生には社会人としてあるべき姿を教えてもらいました」と香城トレーナーも星稜の経験をプラスに捉えている。
気配り上手になれれば、苦境に陥ったとき、味方を励まして前向きにする行動も取れるだろうし、パスを出す・もらうタイミングもうまく計りながらプレーできるはずだ。
本田も「エゴイストだった自分を星稜での3年間で変えられた」と話していた。
「高1のとき、俺が一切パスださへんから、3年のキャプテンが『アピールしたい気持ちはわかるでも俺らは1つのチームだ。試合にも勝ちたいやろ。チームをよくするためにお互い主張しあってやってかないといけないし、パスを出さないといけないときもある』と何度も話をしてくれたんです。それは大きかった」
と感謝を口にする。当時、先輩たちに教えられたことは、彼の力強い支えになっている。そういう環境を作れたのも、河崎監督が人としてあるべき姿、気配りの大切さを日頃から選手たちに説いていたからだ。
指揮官自身も、気づいたことがあれば、自ら率先して行動している。2011年3月11日に東日本大震災が発生した直後も「東北のサッカーのために何かしたい」という思いが高ぶって、流経大柏の本田裕一郎監督と全国高体連サッカー専門部技術員長を務める暁星高校の林義規監督にすぐさま、電話をかけた。
「部員1人ずつから義援金を100円ずつ集めて、東北の窓口である盛岡商業の齋藤重信監督に送ろう」という話になったのも、河崎監督が迅速な動き出しをしたからだ。
「震災からの復興も、1人じゃ何もできないし、みんなの協力がないと動かない」という指揮官のサッカーにも共通することだろう。