当時小学2年生。明かされる震災の記憶
「揺れたどころじゃない。祖母が食事の用意をしているような時間だったんで起きていたんですけど、その祖母が僕の寝ているところまで走ってきて抱きかかえてくれたのを覚えていますね。
真っ暗で、ろうそくの中で朝飯を食べたのも、人生で初めてだった。怖いも何もよく分からなかったですけど、自分の家はたまたま壊れなかった。だけど壊れてしまった人が命を落として、6000人くらい亡くなったんですかね…。
ホントに日本は自然災害が多いなということに尽きるんですけど、こういったことは忘れがちになる。1つの節目の日にまたみんなが大事なものを思い出すきっかけになればいいと思うんですよね。
それが自分の仕事や生き方、日々の行動に生かされれば、日本ももう少し素晴らしい国になっていくんじゃないかと思いますよね」と彼は幼き日に思いを馳せながら、しみじみとこう言った。
大地震に見舞われても生きていられたからこそ、今の自分がある。だからこそ、命を大事にして、全力で生きていくことが重要だと本田は改めて再認識したに違いない。
その姿勢は2014年ブラジルW杯惨敗後も決して変わっていない。ベースキャンプ地のイトゥから直接チームを離れたことで批判にもさらされたが、今季セリエAで再始動してからというのも、本田は自分にできることを1つ1つ精一杯、努力している。
それは日本代表でも全く同じ。イラク戦では確かにこれでもかというほど得点機を外しまくったが、それももう一段階ステップアップするために必要な挫折なのかもしれない。
次なるヨルダン戦、その先に巡ってくる強豪国との戦いで、試合を決めるゴールを奪うのがエースの仕事。彼はその責任をしっかりと果たすことを節目の日に誓った。
【了】
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