「ヤットさんなら22年のカタールW杯まで行ける」
その親友がブラジルに挑む姿をスタンドから見たのが、今回のイラク戦の開催地・ブリスベンだった。スタジアムは異なるものの、同じ町で前人未到の大記録に到達したのは、何かの因縁かもしれない。
「150試合の中で印象に残っている試合? 今日も印象に残ると思うし、デビュー戦(2002年11月のアルゼンチン戦=埼玉)とか、初ゴールの試合(2003年8月のナイジェリア戦=東京・国立)はよく覚えているし、W杯の試合も覚えている。ひとつに絞る方が難しいですね」と本人はしみじみと過去を振り返った。
それでも同世代の仲間が次々と代表を去っていく中、35歳になろうとしている今も代表キャリアを継続し、「ヤットさん(遠藤)なら2022年のカタールW杯まで行ける」と本田に言わせてしまうほどのパフォーマンスを見せてしまうのは、やはり常人のなせる業ではない。
遠藤がここまで生き残ってこられたのは、あらゆる監督の要求に対して、合格点以上の結果をつねに出し続けてきたことが大きい。
「特別、監督に全てを合わせているわけでもないですし、自分の持ち味を出しながらチームにうまく貢献できればいいかなっていう積み重ねがここまでつながっていると。
そんなにポジション的に大きく役割が変わるわけでもないので、自分が持っているものを安定して出せているのが評価につながっているのかなと思います」と彼は自身の足掛け14年の代表キャリアを振り返った。
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